盆上の美学


自然への憧れ(人と自然)

私達人間が自然の風物の中に在るときに覚える、心の豊かなあのやすらぎは、どんな享楽によっても、慰めの言葉によっても、得られないもののようです。
幸不幸のみさかいもなしに科学が進み、人間は自分の作った文化、文明に追われて、ますます大自然の懐に帰りたくなって来たのではないでしょうか。
大きい自然の中に生きて、衣、食、住のすべてが、自然の恩恵によって作り出され、養われて来た私達人間は、不変の山の姿や永年の風雪に耐えた老樹に、尊敬の念を抱き、華麗に香る花のかげにも、短い花の命を思っては、ものの哀れを感じて来ました。g-1.jpg
自然と共に在りたい、と云う願望は、人間だけではありません、動物すべてに共通する本能で、犬でも鶏でも子供でも野山で遊ばせて御覧なさい。
美しい姿態で全身で喜びます。
自然の山川草木は、人を拒まない、善意のある親しみを持って、ソッと、ささやきかけてくれます。
人間も自然の中の一員だからでしょう。
日本の自然
一見、野放図に見える自然界には、人間生活よりも、一段ときびしい秩序があります。 太陽の運行による季節、昼夜は勿論のこと、強いものだけが生ききられて、弱いものは滅んでゆきます。
植物は、動物のように移動できないため、一層の制約を受け、適者生存を強いられ、生命の営みを持つ場所によって、多くの形態や内的特質を持った種類に、分かれてきました。
南北に長い日本の国土は、起伏も多く、日本海岸と太平洋岸とでは、気候の違いもあって多種多様の植物があり、きびしい台風や雪などによって、不均衡ながら安定感のある、独特な形態や景観の樹木が、風土や立地の状態を表現していて、興味がもたれます。
草木の姿
自然に在る樹木の形は、良く見ると多様で、決して、同一のものはありません。
また必ず、あいきょうのある欠点もあります。
しかし大別すると

平地の野原や寺神社などに、孤独に、スックと幹の直立する直幹型
砂浜や川辺の土堤や傾斜地に、幹が傾いて立つ斜幹型
山や海岸の断崖絶壁に生え、風雨に倒されて、岸壁面にやっとしがみついて、垂れ下がっている懸崖型
高山のヤセ地や岩上などに立ち、風雪や乾燥などによって、上に高く育つことが出来ずに、枝枯れしては伸び、伸びては枯らされて蹲踞(そんきょ)の姿勢のように幹が屈折してなった、?幹型(ばんかんがた)
小高い丘などに、株元から数本の幹を林立させた、株立型
幹の途中から、二本三本の幹にわかれた中双幹又は中三幹型
積雪地などで、下枝が雪で押さえられたままの形で、枝から根を出し、又は倒木のあちこちの枝から根を出して、枝は数本の幹となり、根が連なった根連なり型
四季の美しさ
日本という風土は、すっきりとした四季があるので、生活に変化があり、昔から日本人は、四季の移り変わりを楽しみ、そして生活のリズムとしてきました。
その変わりようは、草木が一番良く表現してくれるので、人間は草樹を四季変転のバロメーターのようにして、眺めてきました。
春の霞のように、新芽が萌え出して、小鳥が愛を唄い、その声に呼び覚まされて花が咲き、蜂や蝶が舞う武蔵野や林。gamazumi.gif
夏は葉も濃緑となって、枝も固まり、樹の下には、微風が涼しく過ぎるかと思えば、雷雲と共に蝉の声をかき消して、大粒の雨が葉をタタいて、男性的な音楽を聴かせる信州の碓氷峠。
秋の夕暮れに見る紅葉は一層美しく、青葉黄葉と交わる対照は、一幅の名画さえ、味気ないものに思わせた大原の里。
冬樹の梢が、細く寒空に霞たち、残月に懸かる枝だけが鮮やかに見え、或いは三つ五つ凍った朱実を残した、古武士のような柿木の震う小枝に陽の昇るのを待つ福良雀の居た瑞巌寺裏。
植物を生活へ
このように美しい自然の草木の姿に、いつも接していたいと云う願いは、絵画紋様の美に移されて、生活の彩りに取り入れられ、感情を移入することによって、詩歌に詠まれ文学になり、野にある草木は手折られて、神仏の供花となり、いけばなとなり、遂には、生命あるままの草木を移し植えて、身近な処に忠実に自然を写す、作庭、造園となり、生活の知恵はその自然の美を凝縮して、鉢に植え、持ち運ぶことの出来る、四季の美、である盆栽へと進んできたようです。
美を見つける喜び
その気にさえなれば、私達の身近な処に、草木の自然美は、みちみちているのです。
わざわざ景勝地へ行かなくても、ビルの谷間の雑草にも、よその庭木の枝先にも、公園や墓地の立ち木にも、心眼を開いてよく見れば、美しさで一杯なのを、知ることが出来ます。
通勤電車やバスの中で、不健康に週刊誌を読むよりも、目を遠くに放って大らかな自然の美を観賞することは楽しい事です。
美を見出すには、最初に「綺麗だ!」と云う、純粋な小児のような感動を自分にも照れずに持つことです。
この感動は、大切な個人の特殊体験となって、次々と悟得され、何故美しいのか、と問う実体の分析によっても、更に高められ、潜在意識となって、わび、さび、いき、など日本固有の美に対する感覚が磨かれて行くのではないでしょうか。
常に自然に触れて、親しむことです。
そして自然に対して、あたたかい深い愛情のまなざしを向けてやれば、花木は神秘な美しい扉を開いて、静かに語りかけてくれます。
草木と謙虚な気持ちで、対話をしてみれば、その優しい心にも、たくましい生命力もその草木の周囲にある事象との関係や必然性も調和の精神や方法も、枝葉一つ無い空間(ま)の意味合いも、どうして皆から「格調の高い美しさだ」といわれるようになったかも、長い生活昔話とともに、つつましやかに、話してくれるでしょう。
美は相手の草木にだけあるのではなく、自己の心の中にもあるのではないでしょうか。」そして自己の美と照応して相手の美が発見され、共に美を育てる喜びを分かち合うようです。
人間もみな、孤独なものです。宇宙や大自然から見れば、ほんの一瞬の線香花火のようなものです。病気も寿命も、苦悩さえ、親子夫婦といえども変わることは出来ません。
本当に孤独です。
人間は無意識にウソをつきますし満足することを知りません。
節度がありません。
悲しいことです。kanaoi.gif
しかし物言わぬ自然は、植物は裏切りをしません。
正直で素直です。
孤独を知る人ほど美に敏感なようですから、せめてものことに多くの自然を友として、清清しい対話をして、外形だけではなく内在する美しさまでも見出し、心の糧にして行きましょう。
自然をよく観察し、四季の移り変わりを見守ることが、大きな自然の持つ美しさを見つけ出すことになり、盆栽つくりの目を養います。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第4号より

bk1_top.gif

ページの先頭へ

LINK





植栽(しょくさい)

なにも、針金を巻いて枝や幹をくねらせたり、バッサリと枝数を減らしたり、枝のないところに接木をしたりの大手術を敢行しようというのではありません。ki1.gif
植裁(しょくさい)「うえかた」自然盆栽の植え方をしますと、変な固定観念や先入観が邪魔をして気づかなかった、必然的で最も美しい、新しい姿の自然盆栽に格上げすることができます。

・・・・・自然盆栽協会「盆栽」より

ページの先頭へ

盆上の美学

お願い

「自然盆栽」の記事に関しては無断転載禁止。
このホームページに書かれている事は、私自身の経験や 自然盆栽を作っておられた先輩からから教わったものまたは「会報」などを基に記述しました。
このホームページに掲載している内容により発生した、いかなる損害に対しても当方では一切責任を負いかねます。
また記述内容の質問なども「自然盆栽」に関しては受け付けておりません。
この記述は私個人の覚書として記述しており私個人が利用することを念頭に掲載しております。そのつもりでお読みください。

自然盆栽について

自然盆栽を深く知らない人は、自然盆栽と言うと自然にほおっておいて、いわゆる自然放置盆栽という、こういう観念がほとんどなんですね。例へば私の知っている人に「自然盆栽」うんぬんということを言うと「自然に放っておいて盆栽ができるなら誰も苦労することはないんだ。針金なんかなくて済むんだ」とこの様な受け取り方をする。ki.gif
そう言う意味で「自然盆栽」という言葉は誤解されている面が現在まだあるんではないか・・・。自然盆栽というものが唯一絶対のもの、という観念を持ちたくない、世の中にはいろんな人がおられるんで、中には自然盆栽がきらいだという人が、あるいは居られるでしょう。そういう方はそれでいいじゃないか、自然盆栽が唯一、絶対のものである、という様ないわゆる非常に排他的な考え方は持ってはならないでしょうし、真に良いものは、そういう排他的なことをしなくても、自然に淘汰されて残ってゆく「真のもの」であれば必ず、何時かは正当な評価がされるそれでいいのではないか・・・・

自然盆栽協会「盆栽」より

uonumatitle-1.jpg

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu