盆上の美学(美しい盆栽は)


美しい盆栽は

盆栽の理想像を求めて見ましょう。
欠点のない樹はありません。
欠点が美点になることもあり、その逆もあります。
ようは欠点を感じさせない自然な美しさがあることでしょう。

①然美を象徴する

自然への憧れを身近に求め、一鉢の中の、少ない用土を、限られた大地として植えられた草木は、生来の個性と生命力とを、応分に発揮できるように助けてやると、邪魔する大木も無く、病虫もつかず、恵まれた環境によって早く完成し、成樹となり自らの持つ大きな自然の美しさを表現(あらわ)してきて、丈は小さくとも野山に在るよりも、なお大らかに、よし自然に見えるものです。120s.gif
針金を肌に喰い込ませたり、不当にネジ曲げられたり、不自然な傷跡を残すものは、どんなにきれいな花が咲いても、それは鉢植えか、種木、苗木に過ぎず、美しい盆栽とは云えません。
鉢植えとは、植物の部分的な美しさだけを楽しむものでしょう。
盆栽は、植物の総合的な美しさと、土、鉢、置き場、雰囲気などの純真な調和によって、大きな自然の持つ美しさを象徴しようとして楽しむもので、日本独特の表現方法であり芸術の一分野として世界中に「BONSAI」の言葉が、生け花、茶道、柔道などの言葉と共に、広く知られています。

②音と動きを感ずる

美しい盆栽は一篇の「詩」と云えましょう。
詩は少ない文字や行のあいだにも、無限の心情や言葉と現象を秘めて、詠む人々それぞれに、連想を起こさせ、想像の世界へと導いてくれます。
佳い盆栽をを見ていますと、柔らかく差し出た紅葉の下枝の方から清らかなせせらぎの音が聞こえ、尾を振って流れの岩を飛び伝う、セキレイの動きが想像され、老い杉の幹に、フト、神木の忠連縄を思うと、祭りの太鼓や若者のさざめきが聞こえ、夜店のアセチレンの匂い、踊りの輪の動きが見え、冬枯れの欅の梢に寒月の移りを見、犬の遠吠えをきき、空腹の時などは、湯豆腐の薬味の柚子の香りまで漂って来ます。
寒樹の枝にも花の咲く姿を思い、新緑に紅葉の美しさを想像したり、また、子供の頃の思い出や、楽しかったこと、苦しかったことなど、あの人この時、過ぎし日の思い出やこれから行きたい旅のことなども、その盆栽を見る人の、心理状態や健康状態によって、それぞれに異なった尽きない連想が、湧いて来ます。
美しい盆栽からは、姿なきものの姿が見えそこに無い色も、匂いも、音も、動きも見えてくるようです。

③感動が残る

長く美しい感動が持続するもの程よい芸術だ、と云われますが本当でしょう。
いくら一瞬「キレイダ!」と思っても、長く見ていると、アラばかり見えて来てしまうようなものは、悪いものでしょう。
見るたびに、清らかな感動と愛着が増して行き、時折、ふと思い出して、頬笑みの出るようなものが最高だと思います。
人間でも、同じでしょう。
初めにいくら魅力を感じた人でも、長く一緒に居て、だんだん欠点が、鼻についてきてしまう人と、初めは「よさそうな人だなぁ」位に思いながら、付き合って居る内に、取り立てて美点は無くても、何となく心が豊かになってくる人とがあります。
そしてそれは個人によっても異なります。143.gif
盆栽でも「何となく飽きないもの」が一番でしょう。
あなたの神経に、引っかかるようなところの有るものは、どんなに、ほかの部分が佳いものでも、その欠点をその欠点を直す自信のない場合は、求めないほうが良いでしょう。
「合性」と云うことは大切なことで、気が合えば多少の欠点があっても、不思議にその草木も気脈を通じて、良くなってくれます。
人に百人百様の個性があるように、草木にもそれぞれにちがった佳さがあります。
気の合わないものと共に暮らすことは、お互いに不幸なことで、美しい感動も起こりません。

④喜びと誇りがある

美しいものに対したときには、人の表情も美しく輝きます。
私の心のときめきを感じるような、美しいものを見るのも好きですが、観ている人の、何時もの顔と異なった潤んだ清純な瞳を見ることは、もっと好きです。
楽しいことです。
花や樹を見ているときの人の眼が、一番美しく和やいで見えます。
美しい草木を愛し育てる。こんな喜びを知らない人は不幸な人だとも思います。
愛する喜びは愛される喜びよりも大きいと言いますが、何も云わない草や樹の、欲しがるものを察して与えてやり、それに応えて、草木は美しく育って、花を咲かせてくれるのです。
この草木との対話は、「思い遣り」の心だけが出来得るもので、これこそ純粋の「愛」と云えましょう。
どんな小さな木でも草でも、美しいものを所有するものには、他人にいえない、ひそかな喜びがあり、誇りがあります。
切り取られた生け花と異なって、根のある、草や木には永遠の生命があるので、たとえ現在はあまりよくなくても、より良くなる可能性を秘めています。
自分が行った努力が報いられて価値も増大するわけです。
ですからただ眺めるだけでなく「来年は右の枝を伸ばして左の枝との釣り合いを・・・」「今年は花を咲かせるよりも、樹を若返えさせて力をつけ、幹を太くして安定感が持てるようにしよう」などと三年五年先の、向上した未来像を描いて、将来を楽しむことが出来るわけで他の美術品とは違った、人を育てるのと同じような尊い喜びと誇りがあります。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第5号より

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植栽(しょくさい)

なにも、針金を巻いて枝や幹をくねらせたり、バッサリと枝数を減らしたり、枝のないところに接木をしたりの大手術を敢行しようというのではありません。ki1.gif
植裁(しょくさい)「うえかた」自然盆栽の植え方をしますと、変な固定観念や先入観が邪魔をして気づかなかった、必然的で最も美しい、新しい姿の自然盆栽に格上げすることができます。

・・・・・自然盆栽協会「盆栽」より

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盆上の美学

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自然盆栽について

自然盆栽を深く知らない人は、自然盆栽と言うと自然にほおっておいて、いわゆる自然放置盆栽という、こういう観念がほとんどなんですね。例へば私の知っている人に「自然盆栽」うんぬんということを言うと「自然に放っておいて盆栽ができるなら誰も苦労することはないんだ。針金なんかなくて済むんだ」とこの様な受け取り方をする。ki.gif
そう言う意味で「自然盆栽」という言葉は誤解されている面が現在まだあるんではないか・・・。自然盆栽というものが唯一絶対のもの、という観念を持ちたくない、世の中にはいろんな人がおられるんで、中には自然盆栽がきらいだという人が、あるいは居られるでしょう。そういう方はそれでいいじゃないか、自然盆栽が唯一、絶対のものである、という様ないわゆる非常に排他的な考え方は持ってはならないでしょうし、真に良いものは、そういう排他的なことをしなくても、自然に淘汰されて残ってゆく「真のもの」であれば必ず、何時かは正当な評価がされるそれでいいのではないか・・・・

自然盆栽協会「盆栽」より

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