盆上の美学(美しい盆栽は)


美しい盆栽は2

盆栽は自然への憧れを満たしてくれるもので、その盆栽の理想像を求めて前回は「美しい盆栽とは
①自然美を象徴するのが盆栽である。
②美しい盆栽を見ていると、音と動きを感ずるものである。
③観賞した後までも感動が残るのが良い盆栽である。
④美しい盆栽は作るものにも持つ人にも、喜びと誇りがある。
というところまで考えました。
⑤巨(おお)きく見える
偉い人に対していると、体は小さいのに巨(おお)きく感じるものですが、盆栽でも同じです。
小さな盆栽でも、手に持って空にかざし、一対一になって眼を細めて観て御覧なさい。
佳い盆栽ほど巨きく見えるものです。
部分的な美しさに、捉われていれば、全体の美は、判別できません。
子供は正直なものです。
美しい盆栽を食卓に置いて、食事をして居る時は、必ず想像をたくましくしてくれます。
「この木に登ってみたいね」147.gif
とか「早く夏が来ないかなぁ。蝉をとりにいこうね。」
「この枝は小鳥が巣を作りたくなるような枝だね」 「海に行きたい」などといいますが、不自然に枝が切り込まれたり、不安定な木が置いてあると
「どうして、ここ折っちゃったの」とか「颱風が来たら、こんな木は一パツで倒れちゃうね」
とか云ってスゲない眼を向けます。
登ってみたくなるような、大きく見える木、そこで握り飯でも食べたくなるような草が美しい盆栽と云えるようです。
巨きく見える、ということは、外形上からも、内面的にも、総てにおいて、形象(かたち)に無理がなく自然である、という一語に尽きますが、 「巨きく見えるのは、何故?」ということを皆さんと一緒に考えてみて、美しい盆栽作りに役立てたいと思います。
⑥生き生きとしている(生命感)
人にいじり廻されて、ネジ曲げられ、ここにきわまったようなものは、盆栽ではありません。
なんと多くの店頭や展覧会で、こういう草木を見かけることでしょう。
枯死寸前のものが、どうして美しいと言われましょう!
私は怒りさえ覚えるのです。
盆栽は、草木が鉢の中で自分のもつ生命力と個性を充分に発揮できるように天(自然)代わって人間が助けてやれば「草木は自分で出来てくる」ものだ、ということを、大きな声で訴えたいと思います。
あまり、自分の意のままにしようと思っても、自由にならないのが生きているものの良さで、厳粛な事実なのです。
⑦らしさがある(個性美)
松なら松らしく豪壮雄大で、男性的であり、梅なら梅らしく、雅味を表現しているものが美しい盆栽です。
た同じ松とは言いながら、大本になる立ち性もあれば、這い五葉のように、高山性で這い性のものもあり、立ち上がりの形によって、直幹に向くものとは自ずから異なります。
微妙な点では、幹肌の細かいものは小品盆栽(30センチ以下)に適し、荒れた皮(荒皮)のものは中盆栽(60センチ以下)か大盆栽(60センチ以上)に仕立てた方が良い等、その草木の持つ個性を生かしてやることが大切で、その木と対話をし、美点を見出してやることです。
個性を無視して人間が勝手に作っても、どうも不自然な木にしかならないようです。
「らしさ」と云うことは大切なことです。
⑧安定感
八方から見て形態的にも重量的にも安定しているものは、佳いものです。
重心が幹の上下の中心より立ち上がりの部分に近づいて在り、根を大地にしっかりと、八方に逞しく張り、強風などにも、ビクともしないようなものは、安定して観ていられます。
反対に、根が不自然で片方しかなかったり、幹が細いのに、重さに耐え兼ねる程、葉や花を付けたり、下のほうに枝がなくて、上のほうだけに固まっていたりするものは美しく見えません。
寄せ植えや株立ちのものは、お互いに保ち合う安定感を考え、独立した木では、立ち上がりが、よほどしっかりしていないと、不安定に見えます。148s.gif
鉢の色と大きさや、植える位置によって、木樹に安定感を持たせることも大切なことだと思います。
重心は下の方にあるほど安定して見えますが、上の方にあっても、幹や根の、強さや張りによって、安定して見えるものに、斜幹や懸崖という形もあり、文人風の面白い飄逸なものも、優雅なものもあります。
形の上で、一番に重要なことは、根と立ち上がりから幹へ強く、そして、下部の幹から上へ行くにしたがって、徐々に静かに細くなり、枝も先に行くほど、次第に数多くに岐れて細くなることです。
⑨不均等の均衡
杉の若木やクリスマスツリーのように、円錐型であったり、左右均等(平均していること、平等で差がないこと)なものは生命感や安定感はあっても、余韻もなく、限定された大きさにしか見えません。
日本の自然にある木や風景の美しさは、不均等な均衡(二つ以上の物・事の間に釣り合いが取れていること)に在る様で、よく観ると老樹は必ず不均等に幹や枝を保たせながらも均衡がとれていて、日光と雨露とを充分に摂取できるように生活の知恵を働かせ、適度の空間(ま)を空けては、きびしい風雪にも耐えるようにして美しい姿で生命を保っています。150.gif
この美しさが東洋の美の根本となっているようで、日本の造園の石組みや植栽も、生け花の形のとり方も、東洋画や書のじくばりにも、この不均等の美しさがあります。
長短(枝・根・株立ち、寄せ植えなど多幹仕立の幹等)
太細(根・枝・多幹仕立ての幹、枝等)
大小(各枝や多幹仕立ての体積、飾る場所等)
多少(枝・葉・花・実・草木が分割する地表面積等)
高低(梢・枝・根・花・実・地表等)
濃淡(色彩・幹肌・葉・花・実・苔・石・土・台・場))
遠近(根・幹・枝・葉・花・実・鉢等

などが、それぞれに異なりながらも、程よい均衡を保っているものの方が、均等なものに比較して、より巨きく見え、無限の広がりを想わせます。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第6号より

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植栽(しょくさい)

なにも、針金を巻いて枝や幹をくねらせたり、バッサリと枝数を減らしたり、枝のないところに接木をしたりの大手術を敢行しようというのではありません。ki1.gif
植裁(しょくさい)「うえかた」自然盆栽の植え方をしますと、変な固定観念や先入観が邪魔をして気づかなかった、必然的で最も美しい、新しい姿の自然盆栽に格上げすることができます。

・・・・・自然盆栽協会「盆栽」より

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盆上の美学

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自然盆栽について

自然盆栽を深く知らない人は、自然盆栽と言うと自然にほおっておいて、いわゆる自然放置盆栽という、こういう観念がほとんどなんですね。例へば私の知っている人に「自然盆栽」うんぬんということを言うと「自然に放っておいて盆栽ができるなら誰も苦労することはないんだ。針金なんかなくて済むんだ」とこの様な受け取り方をする。ki.gif
そう言う意味で「自然盆栽」という言葉は誤解されている面が現在まだあるんではないか・・・。自然盆栽というものが唯一絶対のもの、という観念を持ちたくない、世の中にはいろんな人がおられるんで、中には自然盆栽がきらいだという人が、あるいは居られるでしょう。そういう方はそれでいいじゃないか、自然盆栽が唯一、絶対のものである、という様ないわゆる非常に排他的な考え方は持ってはならないでしょうし、真に良いものは、そういう排他的なことをしなくても、自然に淘汰されて残ってゆく「真のもの」であれば必ず、何時かは正当な評価がされるそれでいいのではないか・・・・

自然盆栽協会「盆栽」より

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