盆上の美学(美しい盆栽は)


美しい盆栽は3

小さな盆栽でも、姿や形に無理がなく、じっと見ていると巨きく見えてくるようなものが、美しい盆栽と云えるのではないでしょうか。それに必要なことは
①いきいきしている。(生命感)
②らしさがある。(草木の個性美)
③安定感がある。
④釣り合いが取れているが平均していない美しさがある。(不均等の均衡)
ということを前回に述べて、読者の皆様に美の原理とも言える「ま」について一緒に考えてくださるように、お願いいたしました。
⑤ま「間)をいかす。
程よい「ま」「ま」は空でも無でもなく眼に見えない大切な形であり姿です。
「ま」は物体と物体との間にあって、お互いをつなぐ重要な「場」であって「ま」の形を美しく上手に安定させることが「美」を表現するには最も重要なことで、植物を育成する上でも大切なことは云うまでもありません。
この「ま」の取り方は、自然状態の木や草から学び取ることです。153s.gif
葉と葉、枝と枝、梢と梢、根と根の間には、その樹種の独特な「ま」があります。
そして同じ樹種でも良く見ると一本一本、また一枝一枝が異なった「ま」を持っていることが良くわかります。
それは、その樹の持つ特有の生理や性質と、育つ風土や環境に依っても少しづつ違っていて、一定の爽やかなリズムをもっていて、その空間は、日光をより多く吸収し、通風をよくし、雨露を充分に受けられるために、取られていることが、よく解ります。

植物の知恵は愛らしく美しい姿を創り出しています。
日本の音楽や踊り、芝居でも、また文学、書道、絵画、茶道、華道、でも”時間”や”場”の違いこそありますが、「ま」というものは余韻を残して効果をあげる為に、重要なものであります。
そしてそれは自然が手本になっています。
私達の日常生活でも、会話、食事、仕事にいたるまで、この「ま」ということは大切なもののようですが、案外に気付かずに忘れられているのではないでしょうか154s.gif
欧米人の人々が眼を向けている”東洋の美”は、日本独特な「ま」の美しさといえましょう。
日本語の「まが抜ける」「まが悪い」「まに合う」「まを合わす」「まを置く」「まを欠く」「まを配る」「まを持たす」「まを渡す」「まをとる」等は日本的な意味深長な言葉として、味わいたいものです。
多くの自然な樹々や古来の名画をよく観察して、そこにある「ま」の在りかたを知り省略であり余白である盆栽のほどよい「ま」を勉強したいものです。
⑥奥行きと深さ(遠近感)
立体的な美しさがないと、平面的になり、大らかさ、がなくなります。
奥行きがあり深みが感じられるのは、上下のタテの線に見える枝や葉が見えるからです。
人間の眼は水平に着いているので、ヨコの線だけでは遠近を感じません。
松が好まれるのも、松の葉は直線的であり、枝の上下方に葉が着いているので奥行きがみえる、ということも考えられることです。

また寄せ植えされた細い木々が美しいのは、タテ線に見える幹の細太が、見るものに深さを感じさせ、より広い奥行きと、無限の天地を想像させるからではないでしょうか。

自然の大木を下から見あげている時は、自分の方に向かっている枝と、向こう側に出ている枝とは、タテに見えて来るので、大きさも遠近もわかりますから、より奥深く見えて来るものです。
ところが盆栽の場合は、見る位置に依っても違いますが、斜め上の方から観賞することが多く、下からノゾキ上げることや、見下ろすことも少ないので、奥行きが強く感じられません。
そこで枝先や葉先を少し上向きにさせ(植物を元気にするためにも大切)たり落とし枝(自然の老樹などで根元に直接太陽が当たって水分が蒸散するのを防ぐために下に向かって急に落ちる様に伸びた枝のこと)
を生かしたり作ったり、寄せ植えでは一本一本に梢の高紙をつけて上部の上向の枝によって遠近感を強調します。
自然の混成樹林を良く見ると、この盆栽的技術が正しいことが良くわかりますから、旅行の際には気をつけて観察してください。
盆栽は肉眼で見てこそ本当の奥行きが見えるものです。
肉眼で見て、遠近感があり、立体感もある美しい盆栽ほど、写真に撮って見ますと平面的にペタッとした、実に面白くないものに見えてしまいます。158s.gif
これは二眼ある人間の眼と違い、写真機のレンズは一眼なので当然のことなのです。
立体印刷が進んで来れば可能かもしれませんが、現在では、一般的に深みのある写真は出来ません。
ですから写真を見るときは片眼をつぶって見ることです。
片目で見ることは盆栽の整枝にも大切なことなのです。
片目で見たり眼を極度に細め見ながら、立体感を強調して余分なものを取り除くことも必要なことで、人間の眼は無意識に枝や葉などの部分に捉われて、全体を見ることを失いがちなものだからです。
”深み”のある自然の観察や観賞は、肉眼で見ることで、盆栽も機会ある毎に自分の眼で多くの実物を見るようにしまた自分で盆栽を育て作りながら、その美を確かめることが、美しい盆栽を知ることになり創作できることにつながります。

・・・・・・・自然と盆栽7号

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植栽(しょくさい)

なにも、針金を巻いて枝や幹をくねらせたり、バッサリと枝数を減らしたり、枝のないところに接木をしたりの大手術を敢行しようというのではありません。ki1.gif
植裁(しょくさい)「うえかた」自然盆栽の植え方をしますと、変な固定観念や先入観が邪魔をして気づかなかった、必然的で最も美しい、新しい姿の自然盆栽に格上げすることができます。

・・・・・自然盆栽協会「盆栽」より

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盆上の美学

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自然盆栽について

自然盆栽を深く知らない人は、自然盆栽と言うと自然にほおっておいて、いわゆる自然放置盆栽という、こういう観念がほとんどなんですね。例へば私の知っている人に「自然盆栽」うんぬんということを言うと「自然に放っておいて盆栽ができるなら誰も苦労することはないんだ。針金なんかなくて済むんだ」とこの様な受け取り方をする。ki.gif
そう言う意味で「自然盆栽」という言葉は誤解されている面が現在まだあるんではないか・・・。自然盆栽というものが唯一絶対のもの、という観念を持ちたくない、世の中にはいろんな人がおられるんで、中には自然盆栽がきらいだという人が、あるいは居られるでしょう。そういう方はそれでいいじゃないか、自然盆栽が唯一、絶対のものである、という様ないわゆる非常に排他的な考え方は持ってはならないでしょうし、真に良いものは、そういう排他的なことをしなくても、自然に淘汰されて残ってゆく「真のもの」であれば必ず、何時かは正当な評価がされるそれでいいのではないか・・・・

自然盆栽協会「盆栽」より

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