自然盆栽語録
北村卓三先生の心に残る言葉・・・・
「自然盆栽」
とても新鮮で魅力ある言葉でした。
残念ながら私が興味を持ったときは「自然と盆栽」という月刊誌は廃刊になっていてお店では買うことができませんでした。
何とか手に入れたいものだと思い当時発行されていた「ガーデンライフ」という園芸誌に「売ります・買います・探します」とか言う「投稿コーナー」がありました。早速そのコーナーに投稿しました。
意外とあっさり反応があり「自然と盆栽」を手に入れることができました。 100冊ほどでしたが創刊号からの100冊でしたので大変喜んで買い求めました。
興味ある自然盆栽でしたので一冊一冊丁寧に読み時間をかけて楽しむことができました。もちろん今でも事あるごとに取り出しては読んでいます。
特に北村卓三先生の書かれている記事については念入りに何度も読み漁りました。
盆栽に対する接し方、考え方などとても共感の持てる大変すばらしい内容で興奮しながら何度も読み返したのを覚えています。
もちろん現在でもその興奮した気持ちは変わりなく30年たった今でも続いている状態です。
そんな「北村先生」が書かれている記事の中から私がお気に入りの部分を取り出して見たいと思いこのコーナーを作りました。
自然盆栽の心
一つ一つの言葉に多くのものを含み盆栽だけではない人としてのありようから、生き方まで幅広く語りかけてくる。
この言葉の奥深さを噛み締めることで「自然盆栽とは」「人間とは」「生き方とは」・・・・・・・
いろんなことの本質が見えてくる。
改めて読み返すことで「自然盆栽」とはいかなるものか、どういう心持で育てていけばいいのか、かかわっていけばいいのかがおのずとわかってくるような気がする。
草木に聴け
優れた盆栽を作る人は謙虚でもある。
自分自身をはじめとして、盆栽をやる人間と、その人柄の作っている盆栽を観察してみると面白い。
”文は人なり”と云うが”盆栽は人なり”とも言い換えられる。
いっときの遊びの碁や麻雀にさえ人柄がでるのだから、毎日の付き合いの盆栽には、そっくりと出る。
尊大で態度が大きく、よそで仕入れた知識と、理屈ばかりを並べてすべてを知ったかぶりする人は、どこの社会にも多いものだが、決して、仕事にも人生にも、最後の勝利や成功は得られていない。
謙虚に心を正して、人の声も、天地の微動さえも感じ取ろうとする静かな人にだけ美しい盆栽は作れるようである。盆栽の教師は、天地(あまつち)の風土と、草木それ自身である。幼稚な学問知識だけでなく、肌に触れて草木と共にあることが大切で、草木が問わず語りに教えてくれる。
一木一草といえども同一のものは存在しないし、条件や個性は全部違うからこそ、盆栽は面白いのだと思う。人や書物は参考にしかなりえないし、”技は盗んで体得するもので”あるから自然、盆栽、人、の観察が重要になる。
「自然と盆栽」18号より