自然盆栽語録


何を求め、何を定義づけようとしているのか、錯覚に陥ることがあります。
勿論、一鉢の中に生き続ける「盆栽」といわれているもののことなのですが、それは”人生”の”美学”にも文学とか宗教さえも云えることなのでへないだろうか、と云う思いから、万物共通する「美しさ」とは何なのだろうかと、思い巡らすことが多くなりました。
そして、時折は、どうにもできない、どうすることも叶わない呪縛(まじないをかけて動けないようにすること)の中に居る「人間」、それも小さなアリやハエと同列の人間としか思えないくなることがあって、息苦しいほどの恐怖と悔恨を、何ものかに対して感ずることさえもあるのです。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第8号より

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心ある読者、学者、業者と本誌が密接に協力し合い、教えあって、
①草や樹の固有の性質を調べるために
②自然状態の姿を求めて細かく観察し
③写真や記録に取り
④なぜ其の様になったかを探り
⑤気候や湿度温度、土壌などの風土条件を知り
⑥其の草木が鉢植えや盆栽にされた場合はどうなるか、どんな整枝をすれば良いかを忍耐強く細かく実験し、研究し続けなければならない。
観た佇まいを盆上の整枝に活用することは楽しい。盆栽は自然樹形の縮図だけでもなく、写真だけでもない。美しいたたずまいを観察して心と頭に焼き付けておき、その盆樹に聴き、その樹らしさと美点を生かしながら、盆上に絵を描くのが盆栽作法である。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第23号より

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格調が高い、ということは、樹の若いとか古いとかに直接関係はありません。
人間と一緒で、若い人でも非常に格調のある尊敬出来る人もあれば、老人だからと云って、風格があり尊敬出来る格調ある人ばかりとはいえません。
ただし、人でも樹木でも、年齢を重ね、苦悩や風雪に耐えて来た、悲愴美のようなものもあります。 そして正しく生きてきた老人老樹は厳然として、見事な個性を自己主張しています。
この針ほどの妥協性もない、厳しい美しさが高められると、若い者では及び難い品格と独特の調子(リズム)を表現します。
大自然から受ける感銘と同じような感動を「及び難きものが及んだ姿」の盆栽から受けます。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第8号より

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草木に聴け

優れた盆栽を作る人は謙虚でもある。
自分自身をはじめとして、盆栽をやる人間と、その人柄の作っている盆栽を観察してみると面白い。
”文は人なり”と云うが”盆栽は人なり”とも言い換えられる。
いっときの遊びの碁や麻雀にさえ人柄がでるのだから、毎日の付き合いの盆栽には、そっくりと出る。
尊大で態度が大きく、よそで仕入れた知識と、理屈ばかりを並べてすべてを知ったかぶりする人は、どこの社会にも多いものだが、決して、仕事にも人生にも、最後の勝利や成功は得られていない。
謙虚に心を正して、人の声も、天地の微動さえも感じ取ろうとする静かな人にだけ美しい盆栽は作れるようである。盆栽の教師は、天地(あまつち)の風土と、草木それ自身である。幼稚な学問知識だけでなく、肌に触れて草木と共にあることが大切で、草木が問わず語りに教えてくれる。
一木一草といえども同一のものは存在しないし、条件や個性は全部違うからこそ、盆栽は面白いのだと思う。人や書物は参考にしかなりえないし、”技は盗んで体得するもので”あるから自然、盆栽、人、の観察が重要になる。

「自然と盆栽」18号より

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自然盆栽語録

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