自然盆栽語録


悪質な盆栽鉢は、盆栽を痛め、樹挌を低下させ、盆栽界の発展を大きく阻害している。
長年元気に育つ盆栽を、消耗品のごとく枯死させているのは、鉢も悪いからである。 「鉢穴を見て盆栽を植える」「底穴によって樹種を決める」「底穴によって用土の使い方を決める」置き場も潅水も剪定も・・・・・
人間の体にたとえれば、大切な呼吸をする口や鼻であり、排便する肛門に当たるのが鉢の底穴とも言える。 開けっ放しでも閉まりっ放しでも困る。
開いているのは塞ぐことも出来るが小さすぎるのは一番始末が悪い。
初見参の鉢の底を私が見ていると、人は必ず「支那鉢です」とか「○○○作で」とか言うが、銘は私にとって無用のことで、私は「穴」と「胎土(きじ)」を調べているのである。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第62号より

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その「曲」を生かすためには何うすべきか、と悩んだ末一切針金を使わず、引っ張りも突っ張りもせず、肥料も与えず、十年近く植え替えずに、ただ強い枝の芽摘みと、鋏で三本枝の中の一本を抜くこと、それだけであった。
「自然に自分で出来た樹」を尊ぶことの嬉しさ。
「自然をたすけて自然を作り上げる」喜び。
技で謂えば、無手勝流。
いや天然自然流である。
ねじ伏せ、針金を巻き、斬ったり張ったりが盆栽作りだと思っているふるい頑固な人は「作ったのじゃないですよ、自然に放っておいて出来たんでしょ」
とせせら笑って呉れた。
そして私は心中に快哉を叫んで、ほくそ笑んだ。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第54号より

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日本の音楽や踊り、芝居でも、また文学、書道、絵画、茶道、華道でも”時間”や”場”の違いこそありますが、「ま」というものは”余韻”を残して効果をあげる為に、重要なものであります。
そしてそれは自然が手本になっています。 私たちの日常生活の中でも、会話、食事、仕事にいたるまで、この「ま」ということは大切なもののようですが、案外に気付かずに忘れられているのではないでしょうか。
欧米人の人々が目を向けている”東洋の美”や”日本の美”は日本独特な「まの美しさ」といえましょう。
日本語の「間が抜ける」「間が悪い」「間に合う」「間を欠く」「間を配る」「間を持たす」「間を渡す」「まをとる」等は日本的な意味深長な言葉として、味わいたいものです。
多くの自然な樹々や、古来の名画を良く観察して、そこにある「ま」の在り方を知り省略であり余白である盆栽の程よい「ま」を勉強したいものです。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第7号より

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草木に聴け

優れた盆栽を作る人は謙虚でもある。
自分自身をはじめとして、盆栽をやる人間と、その人柄の作っている盆栽を観察してみると面白い。
”文は人なり”と云うが”盆栽は人なり”とも言い換えられる。
いっときの遊びの碁や麻雀にさえ人柄がでるのだから、毎日の付き合いの盆栽には、そっくりと出る。
尊大で態度が大きく、よそで仕入れた知識と、理屈ばかりを並べてすべてを知ったかぶりする人は、どこの社会にも多いものだが、決して、仕事にも人生にも、最後の勝利や成功は得られていない。
謙虚に心を正して、人の声も、天地の微動さえも感じ取ろうとする静かな人にだけ美しい盆栽は作れるようである。盆栽の教師は、天地(あまつち)の風土と、草木それ自身である。幼稚な学問知識だけでなく、肌に触れて草木と共にあることが大切で、草木が問わず語りに教えてくれる。
一木一草といえども同一のものは存在しないし、条件や個性は全部違うからこそ、盆栽は面白いのだと思う。人や書物は参考にしかなりえないし、”技は盗んで体得するもので”あるから自然、盆栽、人、の観察が重要になる。

「自然と盆栽」18号より

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自然盆栽語録

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