自然盆栽語録


盆栽に於いても、自然に於いても、人生においても、長い長い歴史的に筋を通してものを見ることこそ、其の対象物と自己そのものを観照(本質を見極める)する、主要な視点であることは、現今の近視眼的な史観や、刹那的未世じみた人間どもの尺度では、ともすれば忌避され排されがちな思想であろうか。
がしかし、萬年のの尺度に於いて植物の進化や自然淘汰を計り、千年の単位に於いて人跡を調べ、百年の時日に依って人心を類推する私達文芸の輩にあっては、現在の盆栽もまた、吾が自然盆栽流に、筋を通して、その盆栽にかかわりあるすべてを、叶わざれば、その一端をも垣間見て後世に伝えることが、男の闘いに死に残った男の為しえる、わずかな努力である。
その意味に於いて、今後は出来える限り盆栽の所有者と作者と管理者を明確に記録し、撮影した間時点に於いて、肉眼で観察しえる美観の沿源を、盆栽芸術の歴史に止めたい。

・・・・・・・「自然と盆栽」第56号より

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盆栽を整枝培養し管理するには、よく盆栽を観察して 「ナゼ(原因)ドウナッテ(経過)コウナッタカ(結果)コウダカラ(理論)コウスレバ(方法)コウナルダロウ(処理結果の予想)」 と云う”探究心と研究心”が必要だ。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第39号より

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整枝は自然の木樹や風景、絵画や貴方の理想像を手本にし、植物の栄養を各枝に上手に配分して、美しい形が出来てくるように行うものである。
整枝は人間が手を貸して、自然の太陽や雨風を枝葉に受けさせ、また木樹自身の持つ力や個性を助けて、より自然な、或いは絵のような美しさを作り出すための楽しい作業であるから、その木の将来の形や生理のことを考えて慎重に行うこと。
枝葉の無いところには、樹が自分で伸びてくるし、芽も出してくる。
無理をしないこと。
強い枝は残す芽を少なくし、枝先を横向きにして力を押さえ、弱い枝は残す芽を多くして枝先を上に向けて元気にさせる。
その場合枝元の部分は自然に、基本的に整えておく。

・・・・・・・・「自然と盆栽」第11号より


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「盆栽道にも美学、科学、哲学の三学的発想と探求が必要であること」
「肥料さえ与えれば盆栽は良くなる・・・・・という間違った科学思想は捨てるべきである。
そして天然五大肥料は”水・陽・風・土・葉”であり樹木の完熟生長を目的とする盆栽には”天然五大肥”で十分である。

・・・・・・・「自然と盆栽」第39号より

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草木に聴け

優れた盆栽を作る人は謙虚でもある。
自分自身をはじめとして、盆栽をやる人間と、その人柄の作っている盆栽を観察してみると面白い。
”文は人なり”と云うが”盆栽は人なり”とも言い換えられる。
いっときの遊びの碁や麻雀にさえ人柄がでるのだから、毎日の付き合いの盆栽には、そっくりと出る。
尊大で態度が大きく、よそで仕入れた知識と、理屈ばかりを並べてすべてを知ったかぶりする人は、どこの社会にも多いものだが、決して、仕事にも人生にも、最後の勝利や成功は得られていない。
謙虚に心を正して、人の声も、天地の微動さえも感じ取ろうとする静かな人にだけ美しい盆栽は作れるようである。盆栽の教師は、天地(あまつち)の風土と、草木それ自身である。幼稚な学問知識だけでなく、肌に触れて草木と共にあることが大切で、草木が問わず語りに教えてくれる。
一木一草といえども同一のものは存在しないし、条件や個性は全部違うからこそ、盆栽は面白いのだと思う。人や書物は参考にしかなりえないし、”技は盗んで体得するもので”あるから自然、盆栽、人、の観察が重要になる。

「自然と盆栽」18号より

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自然盆栽語録

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