北村先生講演―今後の盆栽について
講演5
さてこんどは、良い盆栽と悪い盆栽、自然盆栽と人工盆栽、を考えてみましょう。まあその人に依っていろいろな向きはありますが・・・・・。
小さいのが良いから、小さいのばかりやろうと思っても小品に向くものと向かない物もありますね。
小品盆栽も、大きい物を切ってしたの方の一の枝だけ残して作れば良い、という判断は人工盆栽、商業盆栽で、たいへん間違った考えです。これは小品盆栽に限らず、盆栽の中で皆言えることですね。苛めれば良い盆栽になる、という方がありますけど、よく考えていただくと皆さんよく判りますが、「切詰めたら、盆栽にならない」と考えていただくことです。
切り詰めるよりも逐次自然に枝や幹を新しく「交代させて行く」のが盆栽の技術です。
交代させるのは、これは自然の山の木を御覧になれば判りますね、また我々が滅んでも、若い人が生きてまたその子孫へと行き継がれて行きますね、そうゆう、自然の摂理をよく考えて頂いて、「そこに一つの枝が有る」という事は「何故存在するのか」と考えていただいて、そして必然性ということをよく考えていただきたい。
津山は温和な盆栽で植林地も多いので例えて申しますが、植林の方法でも最近までは、その単一樹種でもって桧なら桧だけの植林でしたね、その誤りを世界中で、して来たんですね。ところがやっとこの五・六年前から、日本でも混成樹林の植林を指導するようになった。一つの樹種だけでは育ちにくい。育っても質も良くないし、後後の土壌が片寄って悪い土になってしまう。
落葉樹有り常緑樹あり、色々なものが混生し共栄しながら発展してゆく方向に、植林学自体も変わってきました。
わずか数十年のデータによる試験的な方程式や部分的な微減的な科学よりも、数千年数十万年の自然の摂理を知ろう、そしてまず自分の国の自分が生きる風土の、自分の足元を見て自然の成り立ちなり、そうゆう物をもういっぺん考えてみよう、という事に世界中が来ているわけですね。盆栽も遅ればせながら、考えてやってゆかなければいけない様に思うわけです。
今後の盆栽は簡単に短く申し上げると、形はともかく、盆栽は風雅で枯淡な、品の良い、人口のものが表に出ない物、そうゆう自然なものにますますなってゆくと思います。形も小さすぎるものは少なくなり、二十センチくらいの中型と云いいますか、そういう物に暫くはなって行くんじゃないだろうか、私はそう思います。
ところで皆さん「盆栽の最終的な美しさ」は何でしょう」と思って盆栽を作っていますか、具体的答えてください。
(会場、顔を見合わせてしばらくざわつく、戸惑いの表情が多い)
ひとりひとりに訊こうと思いましたがやめましょう。私も随分考えさせられたんですね。
盆栽は大きい、小さいじゃないと思う。以前にも「盆栽とは何か」と申し上げましたけど、考えてみますと、人間でも今まで私は「全国の仕事の関係」で多くの人にあったんですが交換した名刺で残っているものは二万三千位ですね。
ですから皆さんも多くの人と付き合える限度がありますね。どんなに頑張っても「人生に限りがある」年月にも、範囲も、限度がある。盆栽はそれを一つの「鉢の中」と考えればよいでしょう。
一本の赤松が路地に植わっているとしてですね、どんどん肥料をやって、自然のまままにしたら、何百メートル伸びるかと思うと、そう伸びる物じゃないですね。
ある程度伸びたら上長成長が止まり、後は一年でも多く生き永らえてですね、自分の種子を子孫を一メートルでも遠くに飛ばそう殖やそうと、従って実のなる場所も風の受けやすい所に成らせよう、強い丈夫な種子を造ろうと年々工夫して葉や枝を茂らせ、そして「美しく成熟」してゆきます。
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ハサミを使わないで枝を調整する
なるべくハサミを使わないで、爪だけでやったほうが厭味のない盆栽ができます。
爪で折れないほどの太い枝は、葉を抜いて枯らします。
葉を抜いてもまた吹いてきますから何回も繰り返し、物によっては三年・四年がかりで枯らし、完全に枯れてから適当なところでポキンと折ると、幹の芯まで枯れ込むことがありません。
ちょっと待つ気持ちが大事で、盆栽作りにはハサミはいらないと言い聞かせなるべく手造りが良いでしょう。
自然盆栽協会「盆栽」より