日本の自然の美しさと盆栽(フロリアーデ・オランダ)
日本の自然の美しさと盆栽1
フロリアーデの熱心な、お招きをいただきまして「日本の自然の美しさと盆栽」に就いての講演と「盆栽技術の実地指導」をさせていただくことは、花の美しいオランダに接し得る喜びと共に、大変嬉しく、光栄なことと存じます。
短い一週間のオランダ滞在と、数週間にわたる私の欧州のたびが、風土も民族も異なる海の中の日本国を、少しでも知って戴くことに役立ち、また両地域の盆栽界、園芸界の架け橋になることを、心から希(ねが)っております。
●西欧の自然観と、日本の自然観の相異
本日の命題を正しく理会していただく為に、一番最初に覚えておいて戴きたい、根本的な問題は、
「西欧と日本とは、自然観が大きく違う」
と言うことです。
この相異は、地理的、歴史的に考え、風土性と民族性を考え合わせれば、よく理解されると思いますが、日本と、日本人の心を知っていただく上でも、大変重要な問題であります。
西欧は、恵まれない平坦で大きな陸地に、遊牧民族的な思考を発展させ、最近数百年の間に、その必要性から優れた化学文明を、開花させて来ました。
その科学的発想から「人工を加えない、太古からの姿が自然」であり、「人工と自然とは相対する」とされているようであります。
これに対して日本は、豊かな自然に恵まれ、広い海囲まれた、山地の多い小さな島国であります。
アジアの照葉樹林帯に発達した農耕民族の血統と数千年の歴史的文化を享けて、日本の農民は国土の20%という、非常に少ない平地を丹念に開拓し、維持してきました。
そして低い山は山村の民が長い間かかって蔓や下草を切り払い、自生する豊富な樹木を育て、苗木を植えて、木材を住宅用に出荷し、或いは燃料とし売り、食料や衣類に替えて生活をしてきました。
また高い山は、山岳信仰の人々によって、尊厳な宗教の聖地として守られ、森林は良く手入れをされ、保護され、社殿の建造や改築などにも使用されてきました。
西欧に比べ日本は、国土に対して人口が多かったので、ほとんど総ての山野は昔から拓(ひら)かれていました。
また火山地帯で地震も多く、空中湿度高い理由などもあって、木材が唯一の住宅材料として、多量に使用されて来ましたので、ほとんどの自然林は、人間の助けを受けて維持されてきたのであります。
それゆえに、日本の自然観は「人間と共に生きてきた自然」であり、人間と相対した西欧的自然観は、最近までの日本人には無かったのであります。
●遊牧民族と農耕民族
海で四周を囲まれ、他の陸地への道を閉ざされ、しかも山地の多い、狭い日本列島に住む昔の人々は、農耕民としてしか生存出来ませんでした。
農民は農作物を、あらゆる外的から守らなければ、生活して行くことは出来ません。
しかも少ない耕地なのです。作物を荒らす害獣や害鳥を追い、害虫を防ぐことにも大きな力を注ぎました。
西欧大陸の遊牧民は、家畜の食料になる草が無ければ、新しい草地を求めて移動すればよいのですが、農耕民は、そうは行きません。
作物を荒らされれば収穫が出来ず、種も絶えて無くなり死を待つばかりです。
一年中温暖な地域ならば、すぐに種を蒔けばよいでしょうが、四季の変化があって、冬の寒い日本では、種子があっても、一年後でなければ作物は種を蒔いても収穫は出来ません。
日本人が害敵である鳥や獣に対して敵愾心をもったのは必然性のあることです。
しかし、西欧の人々のように、森や林にいる小鳥やリスたちが人間と遊び、人の手から餌を食べている遊牧民的な習俗をわれわれ日本人は、これから学ばなければなりません。
数千年の生活感情は、条件反射から、”本能”に近づいて行きます。
東洋の園芸植物や、日本の盆栽、庭園、生け花をはじめ、文学、美学、哲学や思想を知る上での重要なことは、この風土に育った、農民的習俗であり、本能に近い、”憧れ”ということであります。
農村の一定地に定住し耕作するという宿命は農民の旅行を不便にし、その上、山や丘や河川が多く、歩く旅を阻止する地形でした。
また約四百年前から三百年間もの永い間、日本人は為政者から旅行を、移動を束縛されまた海外の国との貿易も交流もなかったのであります。
ひそかに民間が交際していた国といえば、このオランダと中国と朝鮮ぐらいであり、オランダの知識の導入に就いては、日本に深い影響を与えております。
さてそこで、移動することや旅をすることの少ない日本人が、たまに信仰の山に登ったり、遠くへ旅をした時に、珍しい花や木を見ますと同じ場所へはあまり行けないので、憧れる心が強くなり、所有欲が働いてその草木を採取し、持ち帰って自分の畑や庭に植え、その花の咲く頃になると、その自生地を思い出し、他人にも懐かしい思い出話を繰り返して、共に楽しんだことだと思います。
”追憶”のためにも、自生地の同じ植物の美しい姿に似せた「形」にし、鉢に栽培したのも盆栽の発祥でありました。
人間は動かずに押し込められていると、変化の少ない生活環境なので、少しでも刺激を求め、周囲の事象に変化を求めるのが人情であります。
植物の部分的な少しの変化にも敏感になり、興味や好奇心からも審美眼が発達し、限られた種類の植物を育種しては、微細な変化も見逃さずに観察して、その特徴を探求し選択し、分化させ固定させて、いわゆる園芸植物や盆栽や造園などが急速に発達したと思われます。
そしてその習慣は日本人の庶民の生活の中にも深く浸透し、定着していました。
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ハサミを使わないで枝を調整する
なるべくハサミを使わないで、爪だけでやったほうが厭味のない盆栽ができます。
爪で折れないほどの太い枝は、葉を抜いて枯らします。
葉を抜いてもまた吹いてきますから何回も繰り返し、物によっては三年・四年がかりで枯らし、完全に枯れてから適当なところでポキンと折ると、幹の芯まで枯れ込むことがありません。
ちょっと待つ気持ちが大事で、盆栽作りにはハサミはいらないと言い聞かせなるべく手造りが良いでしょう。
自然盆栽協会「盆栽」より