日本の自然の美しさと盆栽(フロリアーデ・オランダ)
日本の自然の美しさと盆栽2
その一つの例証として、今から葯百年前(1863年)に日本に来たイギリスの植物学の専門家であるフォーチェン(Fortune Robert)が、著書「江戸と北京」(Yedo and Peking A Narrative of a Journey to the Capitails of Japan and China London 1863)
の中に書いたオランダに関係のある一部分を紹介して見ましょう。
「日本ではシナと同様に矮小植物が大層大事にされている。そして矮小化の技術は完全の域に達している。
1826年、長官メイランは、一箇の箱を眼にしたが、それは一インチ平方、高さ三インチで、その中に、竹とモミとスモモが実際に育ち、繁っていた。スモモは一杯花をつけていた。
この持ち運びできる小さな森の価格は1200オランダ・グルデン、すなわち葯百ポンドだった」
(竹とモミとスモモと書かれているのは、松と竹と梅、の事で、日本では、この三つの植物を、めでたいお祝いの植物として、正月には寄せ植えて人鉢にし、家々に飾って祝う習慣がある)
そしてまたフォーチェンは、
「公園のような景色、木々と庭園、きれいに刈り込まれた生垣(生きた植物の垣根)が次々に続いた。そしてようやく随行の役人が染井のむらに到着したことを告げた。
この田舎の土地は悉く養樹園に覆われているのだ。一マイル以上に及ぶ、まっすぐな道に沿って養樹園が続いている。
世界中何処へ行っても、これほど多くの植物が、売るために栽培されているのを見たことがない。
それぞれが、3・4エーカーほどもある養樹園は、どこも手入れが良く行き届き、数千に及ぶ植物があるものは鉢植えにされ、あるものは地面に植えられている。」
このフォーチェンは、感歎しあんがら多くの日本の盆栽や園芸植物を各地で見て回り、蒐集してイギリスに持ち帰り、園芸界に貢献したそうであります。
このことは私が自分の眼で確かめるためにイギリスへ行く予定なのですが、数百年前から日本の国は世界一の園芸国であったことは多くの国々が一様に断定していることであります。
●西欧と日本の具体的な差異の例
最近の百年に西欧と日本の交流は日増しに深くなり、互いに影響しあって似たところも出てきましたが、以前は相当の違いが歴史的にあり、未だに根底に残っています。
△絵画に於きましては、画面一杯を多彩な色で塗りつぶして表現する描法が西欧では多く使われましたが、東洋や日本では、線描と淡彩の濃淡が画面に少し描かれるだけで、残された色のない余白な部分が「ま」と言われ重要な位置を占める描法が多く使われました。
この空間である「ま」については、後に盆栽の項で詳しく説明させていただきますが、これは芸術一般にも適用できる特徴ではないかと思われ、私はこの情緒的判断力によって養われる東洋の美の感覚を非常に貴いものと自負して居ります。
△次は「庭園」について考えて見ましょう。
私達から見ると西欧の庭は、明らかに人工物であり人間のものであります。
その形は冷たい幾何学的な直線や曲線で、路は自然を征服して作った人間の為だけの路であり、植えられる植物は総て幾何学的同一形に刈り込まれ、或いは色彩を揃えて、面または立体的な幾何学模様に作られた敷物のような花壇は、明らかに科学の一分野であるようです。
先に「日本の自然は日本人と共に生きてきた自然であった」と申しました。
日本の在来の庭は、我が庭に「小自然」を持つために、最も自然の美しい状態が現出されるような、自然条件を作って、太陽、雨、風、雪、を最大に活用し、『自然を助けて自然を作る』という、自然と人間とが共同で作った庭であります。
その庭園は、人口の跡を感じさせないものであり、鳥や獣さえ不自然を感じないような造園や手入れこそが、最高の庭とされてきました。
庭には微妙な起伏があり、未知は獣道のように自然に順応して地形に添い、植物は厳選された樹形や樹種が将来の成長を予測して混成樹林を形成し、個々の植物が特有の個性美を発揮しながら、全体が統一され調和し共存し、気と草と水と石が大地に融和し、「太古の昔からそこに在った」様に感得される庭こそが最も望ましい庭とされ、葉や枝や水の動きも音も匂いも慎重に配慮され、その為にも遠くの山や森の姿を我が庭の延長と見立て、遠景として抵抗なく取り入れる「借景」(しゃくけい:景色を借りる)と呼ばれる技法が考えられました。
また数個の石を組み合わせただけで滝や渓谷を表現したりもして、想像や連想を大切に育ててきました。
幾何学的な線や画を持つ建築物や敷石や刈り込まれた生垣等は、植栽された植物の持つ、神秘的な個性ある自然な曲線や面や立体や色彩を対照的な形や色で強調する為のものといい得ます。
日本の庭は”情緒の世界”であって西欧の庭の様に”科学の分野”ではないのであります。
この日本的な小自然の庭は、複合的植栽なので植物の総容積も多い立体的なものでありますから、花壇的な庭や牧草栽培的な平面的な庭よりも環境保全にはより多く役立つのであります。
●日本の風土の多様性
この日本人の繊細な感受性を生み出した、日本の自然環境の多様性について簡単に説明いたします。
△日本はアジア大陸の東方に日本海溝を距てて、上弦の三日月形の弧状に連なる列島で言い換えるならば、太平洋の西岸近くに在ります。
△西方を海に囲まれている為に多湿であり南北に長く山地が国土の80%を占める関係から、地形も多様複雑であります。
△気候帯から申しますと亜熱帯から暖帯、温帯亜寒冷帯に属するまでの、多くの地域を持っています。
△日本の気候は位置の影響が強く反映していて、中緯度に当たる日本では、春、夏、秋、冬、の四季の変化が明確であり、日本列島の中央部に当たる京都地方を例に取りますと、一年が正しく三月ずつ四分されています。
また日本列島は東アジアの季節風地帯に属し、よく発達する低気圧の通路ともなり気象災害も多いので、植物も強烈な風雨霜雪にと鍛えられて、厳しい忍耐と、適応の姿を表現します。
△この規則正しい四季の変化と季節風の多い国の農耕民族であった日本人の生活感情にも、大きな影響を与え、季節と天候を予知する上にも、自然の植物は、月や雲や風など以上に大切なものでありましたので、植物の微妙な成長や開花、結実、落葉などにも敏感になり、強い感受性が作られ、色色な芸術んも投影しています。
△本年4月16日に死去されました、ノーベル賞受賞作家の川端康成氏も受賞講演に「美しい日本の私」と題して、日本特有の感受性に基づく日本の芸術や美しさの話をしておりますが、川端氏は絵画や陶磁器と共に盆栽も愛した人でした。
昨年の春の午後でした。
高さ20センチほどの杉の盆栽を川端氏は書斎から持ってきて、私の前に置き、杉や竹や梅や椿などについて話を交わした後で「美しい花も咲かないこの杉の美しさは、欧米人には判らないでしょうね。」といたずらっぽく大きな眼で笑い「やはり風土と芸術と云うものは、深いつながりがあるものですね。」と深くうなずきあったものです。
△植物の種類も日本は非常に多く、これらの植物の作りなす群落の種類(群系)にも色々のものがあります。
そして詳しく観察しますと、地域や種類によって、個体差や変化が数多く、興味深く見られます。
この様に日本は大変、植物に恵まれた地域でありますので、今日お集まりの皆様にも是非とも感心を持って戴きたいと思います。
以上で日本人が植物に対して持っている”心”が大体判って戴けた事と存じます。
次は私が発行しております月刊「自然と盆栽」誌に連載している「盆上の美学」と題する私の文章の一部を参考資料として、図やスライドを見ていただき乍ら、説明をいたします。
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この記述は私個人の覚書として記述しており私個人が利用することを念頭に掲載しております。そのつもりでお読みください。
ハサミを使わないで枝を調整する
なるべくハサミを使わないで、爪だけでやったほうが厭味のない盆栽ができます。
爪で折れないほどの太い枝は、葉を抜いて枯らします。
葉を抜いてもまた吹いてきますから何回も繰り返し、物によっては三年・四年がかりで枯らし、完全に枯れてから適当なところでポキンと折ると、幹の芯まで枯れ込むことがありません。
ちょっと待つ気持ちが大事で、盆栽作りにはハサミはいらないと言い聞かせなるべく手造りが良いでしょう。
自然盆栽協会「盆栽」より