日本の自然の美しさと盆栽(フロリアーデ・オランダ)


日本の自然の美しさと盆栽3

○人と自然

私達人間が、森や林、野や山、海辺や河岸の、緑滴る自然の風物の中に在る時に覚える、心の豊かな、あのやすらぎは、どんな慰めの言葉によっても、享楽によっても、得ることの出来ないものです。
項と不幸のみさかいもなしに科学が進み、人間達は自分の作った文化や、物質文明に追われて人間性を失いかけて来たので、ますます大自然の懐に帰りたくなって来たのでは、ないでしょうか。
大きい自然の中に生きて、衣、食、住の総てが自然の恩恵によって作り出され、養われてきた私達人間は、不変で偉大な山の姿や、永年の風雪に耐えて屹立する老樹に、尊崇の念を抱き、華麗に香る花の影にも、短い花の命を想っては、もののあわれを感じてきました。b-14.jpg
”自然と共に在りたい”という願望は、人間だけではありません。
動物の総てに共通する本能で、犬でも鶏でも人の子でも、野山で自由に遊ばせて御覧なさい、実に美しい姿で、全身に喜びを表して跳び廻ります。
自然の山川草木は、人を拒まない、善意のある親しみを持って何ものかをそっとささやきかけてくれます。
人間も、自然の中の一員だからでしょう。

○日本の自然

一見野放図に見える自然界には、人間生活よりも、はるかに厳しい秩序と掟があります。太陽の運行による季節、昼夜の別は勿論のことですが、諸条件によっては生物は、強いもの、生活環境に適したものだけが生き永らえられ、適さない弱いものは滅びて行かなければなりません。
特に植物は、動物のように移動行為が出来ないために、一層の強い制約を受け、適者生存を強いられるので、生命の営みを持つ場所の、風土環境の諸条件によって、多くの形態や内的特質を持った種類に、分化してきました。
南と北に長く島国である日本の国土は、気候的には亜熱帯から亜寒帯に及び、土地の起伏も多く河川湖沼が発達しているのと、海に囲まれているために雨量が多く、湿度も高く、植物の生育には最適の気象条件を備えています。
その日本海岸と太平洋岸、瀬戸内海岸とでは、大きな気候の違いもあるので、実に多種多様な植物が自生しています。
また厳しい季節風や雪などの影響によって不均等ながら均衡の取れた安定感と調和のある、独特な形態や景観の樹木が、その風土や立地の状態を表現していて、興味が持たれ、われわれ美しさを求める人々の憧れの姿となっています。

○日本の四季の美しさ

日本という風土は世界中ででも珍しい国で、一年間が季節的に正しく四分されていて、すっきりとした四季があるので、生活にも明確な変化があり、昔から日本人は、この四季の移り変わりを敏感に意識し、楽しみ、悲しみ、惜しみつつも、生活のリズムとしてきました。
その四季の変化は、変わりようは、草木が一番良く表現して教えてくれるので、人々は草や樹を四季の変転の指標のようにして、眺めて着ました。
春は霞のように新芽が萌え出し、小鳥が愛を唄い、その声によびさまされて花が咲き蝶や蜜蜂が舞います。
夏は葉も濃緑に染まり、枝も固まって、木々の間に、そよ風が涼しく過ぎるかと思えば、雷鳴が蝉の声をかき消して、大粒の雨が葉をたたき、男性的な音楽を聴かせます。
秋の夕暮れに、逆光で見る紅葉は一層美しく、青、黄、赤、紫色の葉が、対照して引き立たせる姿は、名画さえ味気のないものに思わせます。
冬はまた、葉の落ちた寒樹の梢が、細く灰色の寒空に霞たち、残月に懸かる枝だけが鮮やかに見え、あるいは三っつ五っつと凍った朱い実を残した古武士の様な柿の裸木の、震う小枝に陽の昇るのを待つふくら雀の居る風景。

○植物の自然美を生活へ

このような、美しい自然の草木の姿に、いつも接したいという願いは、絵画や紋様の美に移されて生活の彩りに取り入れられ、感情移入によって詩歌に詠まれ文学となりました。mた、野山にある草や木は手折られて、神仏の供花となり、生け花に進み、あるいはまた生命あるままの草木を移し植えて、身近な処に、美しく自然を写す、作庭、造園となり、自然への憧れと生活の知恵は、植物の自然の凝縮して鉢に植え、日常生活の中で持ち運ぶことの出来る、そして四季それぞれの自然美を観賞する盆栽へと、進んできました。

○盆栽とは何か

(普通の園芸鉢植えとの違い)
盆栽とは、木や草を小さな美術的鉢などに植え、草木が自分で成熟しようとするのを、適切な管理培養や整枝整形をして、その個性的な自然美を発揮させながら、生命を長く保たせ、四季を通じて色や線や調和などを観賞し、生育を楽しむものです。b-16.jpg
また盆栽は、草木の描く絵であり、一編のの詩であると言えましょう。
一鉢の盆栽は、自然草木の縮図だけでなく不要な枝葉などを取り去り、「ま」(空間)を大切にとれば、天然自然の姿より美しさのある「不均等の均衡」という、世界の人々が憧れている”独特な日本の美しさ”が表現されてみる人に深い感動を与え、詩情を湧かせてくれるものです。
普通の鉢植えは、主として花とか葉とか部分的な美しさを観賞するものですが、盆栽はそのような部分だけではなく、全体の樹の姿や鉢の調和までを含めて、長く常に観賞できます。
また、鉢植えは短い日時の消耗的観賞にしかなりませんが、盆栽は、適切な培養や整枝を行っていれば、木樹は自然の山野に競合し風雪にさらされて生きるよりも長く、数十年数百年の生命を保ち、樹の格も上がって、立派になって行きます。

○美しい盆栽とは

良い盆栽は、誰でも見て美しく、自然に鑑賞されるもので、変な形や奇怪なものや、人工を加えすぎたり、捩じ曲げた樹は、盆栽ではありません。
また太いとか、大きい、古い、或いは曲折しているとか、背が低い、葉が小さい、枝が細い、きれいな鉢に植わっているなどただそれだけで、それが盆栽であるとは言えません。
自然美を表現した美しい盆栽の姿には次のような、大切な観賞上の要点があります。
大きく見える
偉い人に対していると、身体は小さいのに大きく感じます。また盆栽も同じです。
小さな盆栽でも、手に持って空にかざし、一対一になって眼を細めて観て御覧なさい。
良い盆栽ほど、見る人に連想を起こさせ、想像の世界へと導いてくれて、大きく見えるものです。
部分的な美しさに捉われていれば、全体の美しさや大きさは判別できません。
子供は正直なものです。食卓に美しい盆栽を置いて食事をしていると、必ず想像を逞しくしてくれます。
「この木に登ってみたいね」とか「早く夏が来ないかなぁ海に行こうね」などといますが、不自然に枝が切り込まれたり、不安定な樹が置いてあると「どうしてここを折ってしまったの?」とか「颱風が来たら、こんなきは、すぐ倒れてしまうね」とかいって、美しくない樹はあまり見ようとしません。
大きく見えると、いうことは、形象(かたち)にも培養にも無理がなく必然性があって自然であるということです。
個性美(らしさ)が表現されている
植物の個性美というのは、
「その植物が自然の大地に実生し、人口を加えないで、そのまま順調に生育をした時の、固有の姿の美しさと、固有の形の美しさ」のことをいいます。
各樹種によっても、各個体によっても、よく観察すれば一本一本が皆違います。
黒松は雄大で男性的でありますが、梅はバラ科特有の走る枝を出して激しく固く曲折、桜は女性的に柔らかな枝を出して育つのが個性美です。
また同じ松でも、高い大木になる立つ性質もあれば、這う高山性の五葉松もあり、立ち上がりの形によって直幹形に適するものと、曲幹形や懸崖形に向くものとは違います。
微妙な点では、幹肌の細かいものは小品盆栽(30センチ以下)に適し、大きく荒れた皮(荒皮)は中盆栽(60センチ以下)より大盆栽(60センチ以上)に仕立てたほうが良い等、葉の形、枝の分かれ方や曲線など、その木の持つ個性美を尊重し、生かしてやることが大切で、その木をよく観察し、その木と対話し、美点を早く見つけ出すことです。
美しい盆栽は個性美をうまく表現しています。
個性美を無視して人間が勝手に技巧的に作っても、美しい盆栽は出来ません。
不均等の均衡を保つ
杉の若木やクリスマスツリーのように、円錐形であったり、左右、上下が均等(平均していること、平等で差のないこと)なものは、生命感や安定感はあっても、余韻もなく限定された大きさにしか見えません。
日本の自然に生えている木や風景の美しさは「不均等の均衡」(長さ、体積、目方が上下左右に平均や平等ではなくしかも、つり合いが取れていること)にあるようで良く観ると、老樹は必ず不均等に幹や枝を保たせながらも均衡(つりあい)がとれていて、日光と雨露とを充分に摂取できるように、生きる知恵を働かせ、適度の空間(ま)を空けては厳しい風雪にも耐えるようにして、美しい姿で生命を保っています。
この「不均等の均衡」という美しさが、東洋美の根本となっているようで、日本の造園の石組みや植栽も、生け花の形の取り方も、東洋画や書の字の配りにも、この不均等の均衡の美しさがあります。
日本の美術や生け花でいう「七・五・三」の配分と、西欧での「黄金比」は近似値であり盆栽の美しさを表現する上でも大切なことです。

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ハサミを使わないで枝を調整する

なるべくハサミを使わないで、爪だけでやったほうが厭味のない盆栽ができます。
爪で折れないほどの太い枝は、葉を抜いて枯らします。68.gif
葉を抜いてもまた吹いてきますから何回も繰り返し、物によっては三年・四年がかりで枯らし、完全に枯れてから適当なところでポキンと折ると、幹の芯まで枯れ込むことがありません。
ちょっと待つ気持ちが大事で、盆栽作りにはハサミはいらないと言い聞かせなるべく手造りが良いでしょう。

自然盆栽協会「盆栽」より

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自然盆栽

  1. その樹らしく自力で納まっている。
  2. 小さめの鉢と少ない用土で根が走らないように植えてある。
  3. 熟枝・熟根を大事にする。
  4. 不均等の均衡(東洋の美)傾斜角度が景を出し必然性がある。
  5. あるがままの姿で人口の跡を残さない。
  6. 樹が内蔵している美しい個性と曲線を十分にして居る

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一般盆栽

  1. 樹の個性にに関係なく一律で作る。(規格にはめ込む)
  2. 大きめの鉢と多目の用土で根を走らせひたすら多水肥培する。
  3. 徒長枝・徒長根で作る
  4. 何でも樹の曲がり具合で正面と頭の位置をほとんど垂直に植え必然性がない
  5. あらゆる人工の跡を残してもハッタリの効く盆栽を作る。
  6. パターン化した蛇行曲線

自然盆栽協会「盆栽」より

ちょっとしたコツ
私は今のところ根詰まりしたもの、根腐れしたものを鉢抜きにしています。その外には山採りした時、根の少ないものは、山土ごと板の上にポンと載せて置くと、底にパァと根が張る。mayumi.gif
山採りしてきて土を綺麗に落として植えたものよりずっと活着が良い。
そういうふうにして、下の方に根が張ってから全部土を落として植え替える。だから根の少ない「山採り」ものにはすごく効果的だと思います。

自然盆栽協会「盆栽」より

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