北村先生講演―今後の盆栽について
講演1
お招きいただきまして、どうも有難うございます。
津山の皆様とは久しぶりですが、一番初めに、こちらに伺ったのが昭和四十五年秋に、皆様に「恵まれた津山の土地柄を活かそう」というお話をいたしました。
津山には気品に満ちた古き良き伝統が生き、風土性から言っても、盆地であり、西の京都か旧京都ち言った様な豊かで優れた個性があった、と言いました。
歴史的に見て、明治維新の時と、鉄道の山陽線が海側に作られたため、ちょっと取り残された様な錯覚を起こされてやたら中央指向性と、言いますか、東京や大都会の真似をしたりして来ましたが、そういう事は、もうなさらないで地元の文化を、そして地元津山の草を樹を、地元で良くできる様に、地元の伝統的気風をよく尊重して立派に仕上げてくださいと、初めの時、お願いした事を皆さんも記憶しておられることでしょう。
あれから八年たつ訳です。津山桧を世に出したいと木多さんから話があった時、私の出していた月刊「自然と盆栽」の第三号に、真っ先の取り上げて、他の桧と違う、あの桧のもった佇まいの品の良さを世の中に紹介したつもりです。
その次にこの美風盆栽展に伺ったときは非常に雑木が多くなっていました。
雑木が多いことは、立地条件、国土性からして、非常に良いことで、実物、花物の豊富な土地がこの津山なのです。
温度の落差も多いし、空中湿度も多い、盆栽を作るにも最適なところだと言いました。
歴史的な雅た所を、皆さんお持ちの伝統的な津山です。
私自身、今の季節で一番楽しんでいる盆栽のほとんどが津山のものです。
それは、この津山には豊富に樹種があるのです。
私は研究と言うか探求して遊んでいますので、悪いものはどんどん捨て去って行きますので、マユミ、ウメモドキ、ズミなどで現在残っている物は、津山のものが非常に多い。
久々に伺ってみてしみじみ思うのですが、世の中の傾向としても、私が雑誌を始めた九年前には雑木は見向かれもしなかったものでしたし、赤松も小品盆栽もそうでした。
雑木や小品を皆さんにおすすめしても、あまり顧みられず本気にもされませんでした。
そのうち段々と以前に皆の生活の中に溶け込んでいた小さい物、古い物・・・・
古い物とは年代が古いのではなしに、合理性があり古いもの、そういう風雅で枯淡な物が徐々に見直されてまいりました。
これは時代の一つの流れとして、我々人間が反省する時期に入ってきたのではないか、我々人間がその力の無さ、科学も含めて無駄な努力、盆栽で言えば無駄な針金掛け、無駄なえぐり方、そういう不自然と言いましょうか、自然という生命力を冒涜するようなものに対する「反省心」が出てきたんじゃないか。それがむしろ、専門家よりも、大衆の中よりも激しく出てきたんじゃないだろうか。
津山の中でも、近代的な間違ったビジョンにかぶれて、盆栽で言えば、段作りが良いと中央の馬鹿な盆栽屋の講師が言えば、針金でグルグル巻けば良いと考え、又、多く肥料をやって、水太りにさせれば良いというような錯覚を起こしている方も、居ると思います。(笑う)
伝統の味というものが、やっと今ここに見直されて来たのではないでしょうか。
津山の良さ歴史の美しさ、というものを日本に於ける津山の存在の意識を見直しても良い時期だ、とこの前申し上げた時より、お気付になってきたんじゃないでしょうか。
今日の展示会を拝見して、何を話したら良いかと思っていましたら、新聞に「今後の盆栽について」と演題が出ておりました。
その点を、ざっくばらんに、みなさんの質問をあとに入れる形にしながら、私の考えを述べて見たいと思います。
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ハサミを使わないで枝を調整する
なるべくハサミを使わないで、爪だけでやったほうが厭味のない盆栽ができます。
爪で折れないほどの太い枝は、葉を抜いて枯らします。
葉を抜いてもまた吹いてきますから何回も繰り返し、物によっては三年・四年がかりで枯らし、完全に枯れてから適当なところでポキンと折ると、幹の芯まで枯れ込むことがありません。
ちょっと待つ気持ちが大事で、盆栽作りにはハサミはいらないと言い聞かせなるべく手造りが良いでしょう。
自然盆栽協会「盆栽」より