北村先生講演―今後の盆栽について
講演3
もう一つ実成りものですね。花咲いて実の成るもの、そこにあるサンザシは黄実ですが、我々は中国サンザシと言っていますが盆栽界では実サンザシと言っています。
私は中国に行って向こうのものを見てますけど、花はご存知のように、梅形の綺麗な花が咲きますね、中には大変薫りの良い物もあります。
実も、黄色実は長く付いていますが、真っ赤な実は10月の中頃ボツボツ落ちてしまいます。木の実も緑から白になり白から黄色、黄色からオレンジ色になり、それから赤になる、その移ろいですね。
うつろいと言う移り変わりですね。非常に良い、しかも実を取って置いて、これを魚なんか煮る時に入れますと骨をや和楽したり、毒を消したりする効果があると言われてよく食べさせてもらったもんです。
女性にも好まれる樹と思います。
今の生活のように多くのものを要求して求め、それが手に入る様になったら、最後に求めるものはなんだろうか。
考えるとそれは金で買えない手の届かないもの、自分で作ることのできないもの、人が製造することのできないものですね。それは結局「心」であり盆栽では「山の味」です。
山採りのものが憧れになって来る。
そして又、人間の手の及ばないことですね。「無技巧の技巧」と言う様な、感じを受けるものです。
同じ枝を切っても何処を切ったかわからない自然なもの。
私はいつも言っていますが十の枝があっても、物干し竿で枝なんか折ってしまっても、たった一枝残っているだけでも美しくよく見えるのが本当の盆栽じゃないか、と。
美しい自然盆栽とはそういうものと私は考えています。
そして女子と子供にも好かれるものですね
八年前に雑誌にここのマユミを取り上げて、津山の方が喜んで下さったけど、他では、ほとんど「盆栽は松だ」と言い、松以外は盆栽ではない、そうですね。
私は雑誌創刊号発行の第一項のカラー写真に雑木と言う事で「富士桜」を取り上げたんです。
あれは深い意味があっての事です。富士桜というのは日本の富士火山地帯の中に育った樹ですから、同じ豆桜の名でも近畿地方の豆桜とは「似て非なるもの」です。
植物学者は形の上だけで分類なさるから同じように見えちゃうんですけど、我々一つ一つの生態をながめている者にとっては形は似ていても全然性質が違うんですね。
我々が盆栽とし庭木とする物は、まず第一に「美しい」と同じ位「枯れにくい」丈夫だ、ということが大事じゃないんですかね。「四季の変化に富んでいる」がやたらに伸びたんでは風情もない「あまり姿を変えない」事ですね、年じゅう伸びたり枯れ枝が出たりで変わっていたんでは、佇まいが出来ませんですね。
また病虫害に強く非常に「丈夫で移植にも耐え」て「生命力に満ち満ち」で美しい、そう言う意味で私は富士桜を雑木の材料ととして取り上げてみました。
濃紫の実は酸味がありますが、美味しいものもあります。
その他の桜には「大島桜」なども桜餅の葉に使用されていますが、花も非常に薫りが良いし、一鉢を庭の隅に、あるいは玄関に置きますと、なんとも言えない山の匂いがしてきます。薫り良し、花良し、実もまた美しいし、美味しいし小鳥も寄ってくる。
だんだん我々は貪欲になり過ぎる位、貪欲になって来ているのではないだろうかと思います。単一な樹種では満足できなくなってきます。
ウメモドキの実が赤く成り、そして冬が来て、春近くなると黄金色のまんさくの花が咲き、梅が香り、というように松柏類の緑色の中に季節の色と香りが点々としてあれば、お互いに美しさを引き立て合う。それが一年中青い松だけですと、互いに欠点を示し合う様な事になります。
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ハサミを使わないで枝を調整する
なるべくハサミを使わないで、爪だけでやったほうが厭味のない盆栽ができます。
爪で折れないほどの太い枝は、葉を抜いて枯らします。
葉を抜いてもまた吹いてきますから何回も繰り返し、物によっては三年・四年がかりで枯らし、完全に枯れてから適当なところでポキンと折ると、幹の芯まで枯れ込むことがありません。
ちょっと待つ気持ちが大事で、盆栽作りにはハサミはいらないと言い聞かせなるべく手造りが良いでしょう。
自然盆栽協会「盆栽」より